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首里城が焼失してしまいました

朝からショックな日でした。

沖縄の首里城の火災です。

 

わたしは生まれも育ちも山口県ですが

両親とも沖縄出身です。

父は外国航路の船乗りで

沖縄に帰ることはまずなくて。

わたしは3番目の子どもだったので

母でひとりで子ども3人を連れて

沖縄に帰るなんて大変で

飛行機の子供料金の適用を外れてからは

長く行ったことはありませんでした。

長兄が小さいときは

沖縄との行き来にはパスポートが必要でした。

 

わたしたち子どもは方言もわからなくて

父と母の沖縄弁の会話は

英語より理解できないレベル(笑)

父は逆にたどたどしい標準語で。

子どもの頃の父は怖いイメージ。

わたしが大人になってやっと

とても仲良くなれたんです。

 

 

機関長で

すっと船に乗ったままなので

たまに国内に寄港した時に

家族で会いに行くという生活でした。

 

 

もう25年ぐらい前のこと。

わたしの結婚式に合わせて休暇をとった父と

ふたりで沖縄旅行をしました。

 

 

といっても

父の兄である伯父さんの家と

お墓参りと

復元されたばかりの首里城に行ったぐらい。

 

 

父が首里城で

「僕は小さい時、

 兄さんと王様に呼ばれて

 ここでごはんを食べたことがあるんだよ。」

と立ち入り禁止となっていたエリアを指して

教えてくれました。

 

 

祖父は父が小さい時に亡くなっていたので

気にかけてくれたといっていました。

沖縄観光をしたことがなかったわたしにとって

首里城といえば父の話し。

 

 

戦争中母も亡くし、

兄は本土にいて

自分は疎開していて

戦後のどさくさで

沢山のものを失ったと。

それまで父は沖縄のことを

何も語らなかったし

そのときも

「無くなったものは仕方ないじゃないか」と

いってました。

 

 

その旅行の1年半後

父は急な病気で

アメリカで亡くなりました。

 

 

実家の山口にいる母も

今朝のニュースをみて

ショックを受けているだろうと

電話できません。

沖縄の叔母さんと話してるかな・・・。

母も父と同じであまり語らないけれど

叔母さん達は

あなたのお父さんの家は

すごかったんだよ~なんていいます。

夢物語みたいな先祖の話しも楽しいですが

父がいうようにおもいながら

聞いてます。

 

 

・・・あの首里城が燃えてしまったなんて・・・